聴覚障害者のむじなです。人事部門で採用を担当してます。
数年前、とあるWEBサイトで、とある障害当事者が書いた下記のような内容の記事を見ました。結構前の話ですが、インパクトが強かったので克明に覚えています。
腕の不自由な人のためのキーボードあるよね。あれって企業で働くとき、企業が用意するんですよ。おかしいでしょ、なんで自分で買わないの?普通のキーボードでも仕事できるよね?
(中略 俺は障害にも負けずに頑張ったぞという話)
ビジネスマンが使いやすい手帳を自分のお金で買うのと同じでしょ。成果も出していないくせに、障害者は相手に求めるばっかりだ。
確かに、これまで一緒に仕事をしてきた障害者の中には、いかに手を抜いて仕事をやり過ごそうかということしか考えていない人もいました。
けど、そんな人って障害の有無なんか関係なくいますよね?
どうしてこう「健常者は」「障害者は」という視点で見てしまうんですかね。
この記事を書いた方は、障害があっても健常者と同じフィールドで働こうと高い意識を持っているのでしょう。私も同じように、「やっぱり障害者は使えない」なんて思われないように日々業務に取り組んでいますので、その思いは否定しません。
しかし、「自分が出来たんだから、お前もやれよ」なんて考えでは、いつまでたってもノーマライゼーションなんて実現できません。
障害者が効率よく仕事をするための設備や備品を、何もかも企業が用意して当たり前だなんて思ってはいません。けど、すべての健常者が、仕事の効率化のために身銭を切っていますか?健常者が仕事をするための「最低限の道具」は、会社で用意されていますよね?デスク、椅子、パソコン、電話・・・。
それと同じように、「最低限の道具」を求めるのはそんなに非難されるべきことですか?
世間が「ホワイト企業」や「ワークライフバランス」を求めるのと同様に、障害者も気持ちよく能力を発揮して仕事ができる社会を望んでいます(「楽に」ではなく)。
望んでいる方向は同じなので、力を合わせてより良い社会にしていければいいですよね。